11月1日に開催されたいずみ会創設80周年記念行事、懇親会には多くの方々のご参加をいただき会場の各所で想い出話や近況報告で久し振りの再会を楽しまれていました。
その中でも、会場の中央のテーブルに集まられた高校8期方々はミニ同期会として思い出話に花が咲いていたようです。その模様の一端を中澤さんからご寄稿いただきました。
いずみ会80周年懇親会に出席して
高校8期 中澤弘生
久し振りにいずみ会に出席した。
8期は10名出席して、荒井真理子会長の配慮で円形のテーブルに10名が座り、同期会の雰囲気になった。8期でもⅮ組はミニ3D会と称して有志10数名が集まりグルメ会を行っていた。
旅行も新幹線が開通して長野まで、レンターカーを借りて信州を周り、宿泊は妙高高原で、松本を経由して新宿まで帰ってきた。富山の寒鰤を食べに、氷見へ行き南砺市井波の彫刻、金沢兼六園を雪の中を歩いてきた。最後は長崎五島市の島をまわった。
コロナ禍以降はランチ会になり、何人かが鬼籍に入り、今は9名で続いている。
9月のランチ会の折、まとめ役的な感じの、いずみ会副会長を経験している、二宮靖子(以降敬称略)からいずみ会に出席しませんかと声がかかり、ミニ3D会から7名の参加となった。
一番元気者は昨日ゴルフ会に参加してきた、藤井元孝と小川洋子で、藤井元孝は小中、高校、青学と共にラグビー部に所属した仲である。同じゴルフクラブに所属して、ゴルフを楽しんだ。シングルになり、グランドシニアチャンピオンになった、彼にはゴルフはかなわない。
小川洋子は1945年3月10日の東京大空襲で丸焼けになった池袋から3月17日に群馬県新里村へ集団疎開に行った仲である。二人とも80年の付き合いとなる。
片山隆は前々回の8の会の会長に推薦して、副会長も経験している。1990年ころ共に大阪勤務で、単身赴任でよく飲んだ。絵を描くことを楽しみとして、酒量は今も落ちない。
東大と藝大を迷った小熊坂満邦はいずみ会のコーラスを楽しみ、秋津の養護学校の子供たちとタグラグビーを私が楽しんでいるとき彼も 参加してきた。
ミニ3Dではないが、宮崎慎吾も元気だった。食べ物を運び、我々の面倒を見てくれた。川崎製鉄に勤務していた彼と1987頃アメリカ鉄の町ピッツバーグのホテルのロビーでお互い出張できて、再開した仲である。
荒井真理子会長たちが企画した万歩会に良く参加して、遠足を楽しんだ。その時の仲間が声をかけてくれ、昔話を楽しんだ。
石川文武副会長はラグビー部OB会長をしていた。全国10校ラグビー会の20周年会秩父宮ラグビー場で開催された。10校とは福岡修猷館高校、大阪は北野高校、天王寺高校、名古屋は旭ヶ丘高校、千種高校、秋田は秋田高校、東京は日比谷高校、小石川高校、青山高校と大泉高校である。。
私は大泉高校選手として試合に参加、秩父宮ラグビー場の芝を45年振りに走った。
試合後のafterfunctionで最年長選手と、紹介され、挨拶をした良い思い出だ。石川文武と話をして、10数年前を思い出した。
荒井真理子会長から要請を受けて、長い間ご苦労様でしたの意味を込めてこの文章を書かせて戴きました。ありがとうございました。
以上
2025年11月9日記