いずみ会は、旧都立大泉中学校・都立大泉高等学校の卒業生で構成される同窓会組織です

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高校32期の棟方隆一さん、久し振りにエッセイをお寄せいただきました。
去る3月10日(日)晴天の下開催された「名古屋ウィメンズマラソン大会」、2万人近い女性ばかりの大会で、「医療救護ランナー」として活動をしながら完走された報告です。

町医者の酔いどれ日誌~血圧低め、血中アルコール濃度高めです~

高校32期の棟方隆一と申します。

高校生時代は大泉学園駅北口の麻雀荘に日参し、あるいは同じく北口にある居酒屋に出入りし、週末はディスコに入り浸るという典型的な底辺学生でした。現役で受験した千葉大学と早稲田大学は全敗。

そして時が過ぎ去ること40年、元不良学生は立派に更生し、今では町医者なんぞを務めているわけですから、人生、何が起きるかわかりませんぞ。あっ、良い子の皆様は、まねをしないでくださいね。

 

     名古屋ウィメンズマラソン完走記

2024310日(日)、私は名古屋市のバンテリンドームにいた。名古屋ウィメンズマラソン、種目はフルマラソンに出場するためである。趣味のマラソンを生かして社会に貢献するなどという大志はないが、枯れ木も山の賑わいとの思いで、医療救護ランナーとしての参加である。本大会は選手としては女性のみが出場できるのであるが、例外として、医療職、警察官の男性の参加が認められている。但し、選手の邪魔にならぬよう、コースの端を走行するなど、細心の注意が要求されている。記録を狙うなどは以ってのほかだ。

午前910分、号砲が鳴り響く。スタート時の天候は晴れ、気温10.2度、湿度46.8%、北東の風0.2mである。

本大会に参加するのはこれで2回目となるが、万単位の女性ランナーの集団にはとにかく圧倒される。色とりどりのウェアーを着た女性が市中へ向けてどっと走り出す。我々は遠慮がちに側道からその流れに乗り、合流していく。接触でもしようものなら、大クレームが主催者側に届くことになろう。スタート時は、皆、はやる気持ちが前面に出るので、転倒などが起こらぬように注意が必要だ。

今回、自分が医療介入した事案は2件。

まずは転倒によりひざの擦過傷、裂傷を負った傷病者。困ったことに、この女性、言葉が通じない。なんとか英語で意思疎通を図ることができたので、本人の走行継続の意思を確認し、終了。本人がリタイヤの意思を示し、走行が無理と判断される場合には、救護所に搬送することになる。意識がなければ、119番通報。

次いで、嘔気による走行不能。エイドで供給されるレッドブルをがぶ飲みしたとのこと。

こちらも嘔吐しそうではあるが、なんとしても完走するという強い希望があるため、自分が伴走することでゴールを目指す。2kmほどの伴走で、体調が回復したために、そこで介入終了。

ほか、胸やけするがなんとかならないか、鎮痛剤を持っていないか、などの相談事案あり。

ご存じのように、大会リザルツは、安藤友香(ワコール)が2:21:18で優勝したが、前田穂南(天満屋)の記録、2:18:59を破れなかったために、オリンピックマラソン代表の座は逃した。

マラソン大会主催者が最も恐れるのが、傷病者の発生である。例えば、心肺停止、低体温症、熱中症などの生命の危険が生ずる場合である。我々医療班に求められるものは、まずはそれらに対応できることである。救護ランナーには、有効なBLSプロバイダ(救命救急のライセンスのようなもの)を有することが義務付けられている。幸いなことに今回の大会では重傷者の発生はなく、一同胸をなでおろしたしだいだ。個人的には、東北の大会で心肺停止に遭遇した経験があり、BLSプロバイダの更新は必要であることを痛感している。余談になるが、心肺停止が生ずるのは、ゴール手前が多く、また圧倒的に男性に多い。私は、おじさんランナーが記録を目指して、ゴール直前でギヤを上げるためと考えている。

バンテリンドームに目をやれば、続々とゴールするランナーの姿が目に入る。お祭りもいよいよ終盤だな。時刻は午後3時、42.195kmの仕事も終えたし、帰路につくとしよう。

帰りは「ぷらっとこだま」を利用し、居酒屋新幹線も開店。ワンカップは「金鯱」。

翌週も熊谷さくらマラソンに医療ランナーで参加予定だ。どんな大会になるのかな。

 

   約40名の「医療救護ランナー」の皆さん、棟方さんは何処に?
     

   ランナーがゴールする      居酒屋新幹線開店。足りなかったなぁ
        バンテリンドーム  
 
 

3月17日(日)開催の「熊谷さくらマラソン大会」でも、健脚を披露されます。
「医療救援ランナー」頑張ってください❕

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2月末日、母校近くの「牧野記念庭園」に行ってみました。
昨年の朝ドラ「らんまん」の影響もあってか、春の花を多くの人が鑑賞していました。
   
   
    
 (上段左から、フクジュソウ、ニシキマンサク、サンシュユ、中段左から、緑萼梅、
  ユキワリイチゲ、緋寒桜、下段、大寒桜)
「雑草という植物はない」とは牧野博士の言、園内では野辺に咲く小さな野草が可憐な花をつけ始めていました。
牧野記念庭園のシンボル、庭園入口の「大寒桜」はやっと咲き始めたところ、3月中旬には満開になるのでは…。
皆さん足を運ばれては如何ですか?

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早くも3月、まだ三寒四温の陽気が続いていますが、母校では2本の河津桜が満開に花開き、早くも春の訪れが聞こえてきています。
一方、桜並木の「ソメイヨシノ」はまだ深い眠りの中、やっと花芽が出始めたところです。東京の開花予報は3月21日、4月9日の入学式の日に新入生が桜並木の下を胸を張って登校できることを期待しています。 

   
        テニスコート南、満開を誇る2本の河津桜
     

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昨年3月から始まった坂本成さんの「精密油彩画」作品紹介、今回が最終回となります。
建築家である坂本さんの目を通して描かれたヨーロッパ各地の市街・村々・教会、建物、いずれも臨場感に溢れ、如何にもその場に居るかのような感覚に捉われます。
最終回の今回は、イタリアの文化都市フィレンツェの象徴、ポンテ・ヴェキオです。      
        「ポンテ・ヴェキオ(Firenze)」

とうとう「花の都」であり「ルネッサンス発祥の都」フィレンツエに来た。 

アルノー川に架かるベッキオ橋の向こうに夕陽が沈もうとしている。
この橋を見ていると浮かんでくるメロデイがあります。 

プッチーニの喜歌劇「ジヤンニスキッキ」の中で豪商スキッキの一人娘ラウレッタが歌

う可愛いアリア「私の大好きなお父さん  mio babbino caro 」。 

「あの方と結婚させてくれないならベッキオ橋から飛び込むゎ」サァたいへん。 

娘に弱い父親はいつの世にも同じです。

 【一口メモ】
  フィレンツェ:
    イタリア半島中部、アペニン山脈を源流とするアルノー川の中流・トスカーナ
    州にあるフィレンツェ、川はさらに斜塔で有名なピサを通って地中海へと注い
    でいる。中世には金融業と毛織業で栄華を極めたメディチ家の本拠であり、
    15世紀のイタリアルネッサンスでは花開いた文化の中心地であった。
    フィレンツェの名は、ローマ帝国の植民地であった時代の「花の神フローラの
    町」に因んで名づけられている。
  ヴェッキオ橋:
    イタリア語で「古い橋」を意味するヴェッキオ橋はフィレンツェ最古の橋。
    ローマ帝国時代に初めて建造され、現在の橋は1345年に再建されたもの。
    石造り3連アーチ式の橋は、今では橋上の両側には多くの宝飾店が軒を並べてい
    る。また、この橋の2階部分は川の両側にある二つの宮殿(ヴェッキオ宮、ビ
    ッティ宮)をつなぐ、かつてはメディチ家の専用回廊であった。
  プッチーニの喜歌劇「ジヤンニスキッキ」
    プッチーニは「蝶々夫人」も作曲したイタリアの作曲家。
    ジヤンニスキッキは彼の最後の歌劇(オペラ)であり、且、唯一の喜歌劇(オ
    ペレッタ)。ダンテの「神曲」地獄篇第30歌を題材とした、大富豪の遺産を巡
    る親戚間の騒動と若い男女の恋を解決する様がコミカルに表現されている。

連載を終えて
私の ヨーロッパを巡る絵の旅もここで終わります。
先日、本連載を中心とした画集「陽と径を辿る」を発刊しました。
       
画集の編集にあたっては、建築を生業としてきたことから「建築史、建築工学と絵画の融合」を目指しつつ、内容は「建築屋さんのヨーロッパ紀行と絵」と優しくしたつもりでおります。
この画集の巻末の辞を以て、皆さんへのお礼とさせていただきます。
「高度経済成長期のゼネコンで働き、定年を迎えた60歳から手探りで描き始めた油彩
 画。その数は大小合わせて400点余、時には出会った風景に感動し一気呵成に仕上げ
 た絵もあるし、何年も没と加筆を繰り返させた世話の焼ける絵もあった。ふと気が付
 くと現在400余点の殆どが手許から離れている。海外に行った絵もある。昨年、転居
 をきっかけに手許に絵の痕跡くらいは残したいと画集を作ることを思いついた。
 いずみ会の皆さんには長い間お付き合いいただきありがとうございました。
 心よりお礼申し上げます。」

 


   坂本成さんの画廊はこちらです。
   
第1回から最終24回までの作品を、また、作品の舞台となった都市・地域  
    を記入した地図も、下記PDFでご覧いただけます。
               
坂本成さん 画廊 24.pdf          
         *坂本さんの画集「陽と径を辿る」についてのお問い合わせは 下記に
     お願いします。
       坂本 成       
        東京都練馬区貫井1-38-1
        電話 03-3990-9255 
    

 

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2月中旬というのに都内の気温が20℃を超える陽気、母校の肯定でも河津桜が咲き始めていました。
17日(土)は附属中学への新入生の制服採寸の日、多くの中学新入生がまだ固い蕾の桜並木の下を歩いていました。
今年の温かい陽気、今は固い蕾も来月には満開になることでしょう。

     
       テニスコート南、2本の河津桜が開き始めています
   
     並木の西側では、数本の白梅が満開       水仙も咲いています
   
      正門からの並木道、新入生の親子、下校する在校生たち

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今回も前回に引き続き「水の都」ベネチェアが舞台です。
ゴンドラが行き交うベネチェアの運河、ゴンドリエが巧みなオール捌きでゴンドラを操っています。
            ベネツィアの指笛」

6世紀、アドリア海の干潟に人工地盤を設けて新しい安全な街を創るという発想を現

実にしたべネツィアの人々は、そこに建てる建築物にも多くの工夫をしている。
弱い地盤の上に建てる建物を軽くするため、窓を極力多く、広くしているがこのような工夫がベネツィア特有の美しい街の景観を生み出すこととなっている。 

ゴンドラが狭い水路を進んで角に近づくと、ゴンドリエは口に指を当てて鋭く指笛を

ならす。何百年も受け継がれた安全のための作法である。

【一口メモ】
  ゴンドラ: 
   ベネツィアには、150以上の運河に400を超える橋が架かっている。
   この水上の迷宮の移動手段として、およそ1000年前にゴンドラは誕生した。
   全長10m、幅1.5mの細長い船は、昔は貴族や裕福な商人の、今では世界中か
   らの観光客の足となっている。
   ゴンドラの船尾に立ったゴンドリエが、片側だけにあるオールを巧みに操り、
   時にはカンツォーネを歌いながら狭い通路を漕ぎ渡っている。


   坂本成さんの画廊はこちらです。

       第1回からの作品がご覧いただけます。
    又、作品の舞台となったヨーロッパの各都市・地域を地図にあらわし
    ています。
      *次回紹介は最終回、2月末を予定しています 
         坂本成さん 画廊 23.pdf
   ☆PC、スマホで本ページをご覧いただく時、画面を大きく拡大していただくと 

     坂本さんの力作をより印象的にご覧いただけます。


   

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2月の立春が間近くなり暖かくなってきた日この頃、母校の庭にもひたひたと春の足音が聞こえている様です。
暖か日差しが差込む正門からの並木道、陽光の下では梅が満開に、河津桜も花芽を膨らませています。
春が待ち遠しい母校の庭をご投稿いただきました。

    
            暖かい陽光が降注ぐ並木道とグラウンド
    
           満開に近い白梅         もうすぐ開きそうな河津桜

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今回もイタリア、「水の都」として世界に名を馳せているベニスが舞台です。
             「ベニスの裏道」

ベニス(イタリア語:べネツィア)はイタリア北部アドリア海のラグーン(干潟)に 

6世紀に作られた人口地盤の商都である。東方貿易で得た豊かな財力と、優れた政治体制をもって独立した共和国として繁栄し「アドリア海の女王」と讃えられてきた。

沢山の観光客で賑わう表通りを離れて裏道に入るとそこには街の人々の生活がある。

朝、子供を学校に送るおかあさんに「チャオ!」と声をかけられた。

【一口メモ】
  アドリア海
   イタリア半島とバルカン半島に挟まれた、地中海域の一部。
   イタリアの対岸には、スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツゴビア、モンテネ
   グロ、アルバニアの諸国がある。
  ベニス
   アドリア海の最深部にできた潟(ラグーン)内の島々からなり、砂州と防波堤によ
   って海と隔てられている。177の島々の間を150を超える運河が走り、400にも及
   ぶ橋が掛けられている。市街は迷路のような路地が曲がりくねっており、自動車は  
   入れず交通は専ら水上に頼り、観光用のゴンドラが行き交っている。
   
   
  坂本成さんの画廊はこちらです。

       第1回からの作品がご覧いただけます。
    又、作品の舞台となったヨーロッパの各都市・地域を地図にあらわし
    ています。
      *次回紹介は、2月9日を予定しています 
         坂本成さん 画廊 22.pdf  
   ☆PC、スマホで本ページをご覧いただく時、画面を大きく拡大していただくと 

     坂本さんの力作をより印象的にご覧いただけます。

 

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日本海側では大雪が、東京もこの冬一番の冷え込みとなっています。
こんな真冬の寒さの中、街中では早くも春の息吹を感じました。例年よりも早く、既に梅やボケが花を咲かせ始めていました。
また、母校の近く練馬区勤労福祉会館わきの公園では、ジュウガツサクラも1㎝程の小さな花を一杯に咲かせていました。
年々早くなる春の花の開花、地球温暖化のせいなのでしょうか…?
早く温かくなるのが待ち遠しい毎日です。

       
   勤労福祉会館近く「あかしあ児童公 園」のジュウガツサクラ(1月22日)
   
          哲学堂公園の梅林に咲く紅白の梅(1月18日)
   
     中野 平和の森公園で見つけた花(1月23に日)
         (右:蝋梅、中:ミツマタの蕾、左:ボケ)

  皆さんのお近くの「春の息吹」もお寄せください。お待ちしています。

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今回も舞台はイタリア、地中海に浮かぶシチリア島のラグーザが舞台です。
丘の上に聳える教会の青いドームが、夜明けの空にくっきりと輝いています

      「バロックの丘から(シチリア島)」

ラグーザに来た。長靴型のイタリア半島のつま先の南部に位置する丘の町である。
ラグーザは東西民族の攻防によって破壊と建設が繰り返された長い歴史を経ている。
バロック様式の聖堂、サン・ジョルジョ教会のトルコブルーのクーポラを囲んで
古い石灰石の家々が丘を重層的に多い尽くしている。
夜明けの空には無数の星が瞬いていた。

【一口メモ】
 ラグーザ
  千年以上も前からシチリア人が住みつき、近隣のギリシャ植民都市と共に発展
  し、東ローマ時代には要塞も作られていた。848年アラブ人によって占領され
  た後12世紀に至ってシチリア王国が建国された。
  1693年の大地震に因って町は大きく破壊されたが、多くのバロック建築と共
  に再建された。
  高台の新市街からは、細い路地が迷路のように巡る旧市街を見下ろせる。
 サン・ジョルジョ教会
  1693年の大地震の後に建設された、旧市街のシンボルとなっているゴシック
  様式の教会。円柱が特徴的なファサードを抜けて教会に入ると、見事なステン
  ドグラスが迎えてくれる。
 トルコブルー(ターコイスブルー)
  緑がかった青色。ターコイズ(トルコ石)は一般的には緑がかった青緑色であ
  るが、特に青みが強いトルコ石がターコイズブルー(トルコブルー)と呼ばれ
  る。
 クーポラ
  教会建築などにみられる、半球状に作られた天井。丸天井、ドームとも呼称さ
  れる。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂も大きなクーポラを有する。

  
坂本成さんの画廊はこちらです。
       第1回からの作品がご覧いただけます。
    又、作品の舞台となったヨーロッパの各都市・地域を地図にあらわし
    ています。
      *次回紹介は、1月26日を予定しています 
          坂本成さん 画廊 21.pdf 
   ☆PC、スマホで本ページをご覧いただく時、画面を大きく拡大していただくと 

     坂本さんの力作をより印象的にご覧いただけます。




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