前回まで、信州諏訪で腹話術での地域活動、また、古くから伝わる諏訪おんばしら祭の
地域との関連について体験談を綴っていただきました。
今回は「閑話休題」比田井さんが小学校時代の想い出を通して、「ゆい」への参加を語り掛けます。
寄稿 大泉の学窓から信州へ その12
”町のおじさん、小柴昌俊さんの笑顔の巻”
高校25期 比田井(近藤)愼爾
*1960年代の東京都北多摩郡田無町(資料AI)
私は小学2年頃より札幌から田無町の谷戸小学校(資料AJ)に転校。ここで楽しみになった情景があります。
小学生通用門近くを笑顔で出勤するおじさんを眺め、思わず私も笑顔になりました。そのおじさんは杖をつきながら歩くし、様子を見ると「どこか痛いのかな?」と思える歩き方でした。でも、おじさんは毎朝笑顔で元気に出勤していました。「僕も大人になったら、あんなおじさんみたいな笑顔の人になりたいな。」とその頃は思っていたはずなのに、何10年も忘れていました。

西東京市立 谷戸小学校 正門
**2002年小柴昌俊氏(資料AK)、ノーベル物理学賞受賞
小柴先生がテレビに出まくりました。当時私は高校で理科の教師だったので、受賞内容などの解説をテレビで見て「高校生にどう解説するか」と考えてばかりいました。ノーベル賞発表から数週間、歩く小柴先生を映像で見た私は思い出しました。
「あ!あの笑顔のおじさんだ!」
実は田無町立(現西東京市)谷戸小学校は、原子核研究所隣(資料AL)、東京大学付属農場の一角を譲っていただき、急増する団地の子供の為新設された学校です。私も団地の子供でした。隣は東大の原子核研究所。現在研究所跡は「いこいの森公園」になり、原子核研究の場であった事は案内されていません。およそ40年間、私は小柴先生を忘れていました。でも、心の中にはいつも「あの笑顔」が刻まれていました。
そこで皆さんにお願いします。今からでも遅くありません、いつも小柴先生の様な笑顔で歩いてください。そうすればあなたの地域も笑顔で溢れるにちがいありません。私は笑顔と言っても下品な笑顔で、小柴先生にはとても及びません。でも「人生に絶望したような表情」で歩いているのではありません。だからあなたの「にこやかさ」が若者を育てる、と私は確信しています。

元 東大原子核研究所正門 現 西東京いこいの森公園
***2020年、年末の読売新聞一面
読売新聞一面の左上には、たいてい誰かの顔写真が印刷されます。ある朝懐かしい小柴先生の笑顔を見つけ「小柴先生、どっかで講演か演説でもなさったの?」と私は注目。残念ながらご逝去通報。私が70歳に近いのだから、それはそうだよ。
*** 2025年、9月の奈良林直先生(資料AM)
ミュー粒子をドラム缶で加熱すると増殖して放射性物質を無害化できた、として全世界は驚愕したと私は感じています。調べると奈良林先生の年齢は私と数年違い。小柴先生の笑顔を幼少期どこかで見たか、学生時代のどこかで小柴先生と接点がありそうです。私は下品な笑顔の「単なるおじさん」ですが、奈良林先生は世界に笑顔をもたらしたに違いない。私はそう確信します。
「まさか、そんな方法があったのか!」と驚いたのは私だけでしょうか。Youtubeなどの動画で奈良林先生を見るだけですが、高校で理科を担当した一人として、日本の原子核研究にかけ声をかけたいものです。「いよ~!世界一!」
あなたも地域で楽器演奏や滑稽を演じ「いよ~!日本一!」という、わざとらしい賞賛をまきおこしてください。もっと格好いいかけ声が欲しいなら、岡谷太鼓祭りで踊ってください。拍手と歓声がいつも湧き上がります。そんな地域の祭りを全国で復活させてください。その為に必要なのは会館やお金やパソコンではありません。あなたの笑顔だと私は思います。
笑顔が新しい「ゆい」を構築していくと私は信じます。笑顔の大人が勤務している職場なら若者は立ち止まって見ます。その若者はあなたの「ゆい」に加わってくるかもしれません。
資料AI : 田無町 (現西東京市)経緯 1889年 北多摩郡田無町に
1967年 東京都田無市に
2001年 保谷市と合併、現在の西東京市となる
資料AJ : 谷戸小学校
昭和29年、東京大学田無実習林の一部で開校
西東京市緑町3-1-1 西武池袋線ひばりヶ丘駅より南にバス7分
谷戸地区
古くは鎌倉街道の宿場町として田無地区の中心地であったが、青梅
街道の発展とと もに衰退、大正13年田無町駅(現ひばりヶ丘駅)
開設で賑わいをとり戻した
資料AK : 小柴昌俊教授(1926年~2020年)
愛知県生、元東京大学教授、物理学者
2002年、岐阜県神岡町のカミオカンデで、超新星爆発によって放出
された「ニュートリノ」の観測に成功したことでノーベル物理学賞
受賞。ニュートリノ天文学を開拓した功労者とされる
小柴昌俊|人物|NHKアーカイブス
資料AL : 東京大学原子核研究所 (1995年開設、2000年閉鎖)
戦後研究が禁止され停滞していた原子核素粒子研究を再開するために開設された施設。多くのノーベル賞受賞者がこの施設で研究を重ねていた。
朝永信一郎博士(1965年)小柴昌俊博士(2002年)
益川敏英博士(2008年)梶田隆章(2015年)
1997年現在の高エネルギー加速器研究機構に統合され、跡地は「西東京いこいの森公園」として公開されている。
西東京いこいの森公園と原子核研究所|西東京市INFORMATIONWEB
資料AM : 奈良林直博士 現東京大学特任教授
2025年、「ミオン粒子をドラム缶内反応器で加熱すると、ミオン粒子
が増殖して放射能物質を無害化できる」との研究成果を発表して脚光
を浴びたが、本発表には異論も多く呈されている。
奈良林直×加藤康子◆放射性廃棄物の無害化に成功!Part1 核技術界に激震!!! 原発の未来に光!