本年1月から始まった高校25期比田井愼爾さんの「半生記」を」連載、今回は第3回です
前回は八ヶ岳農業大学校後に勤務された民間会社でのエピソードでしたが、今回は同じ時
期に決意された放送大学への進学、及び、放送大学での講義によって公立高校教員への転
進への経緯が述べられます。この後25年間の高校教師での経験が、比田井さんのライフテーマとなる「結い(ゆい)」への取組の原点となります。
寄稿 大泉の学窓から信州へ その3 “食品会社から高校教師への巻”
高校25期 比田井(近藤)愼爾
今回は食品会社時代から県立高校勤務時代に移っていきます。
八ヶ岳から諏訪市の食品会社に移ったのは、地域とのつながりを大切にしてきた八ヶ岳皆さんに習い、私は地元会社に転職、日曜にキリスト教教会で礼拝を守ることを大切にするためでした、その後健康上の理由から県立高校に勤務するように変わり、今回の対話は私と地元高校生の対話が文末に出てきます。
1980年代初期、寅次郎かもめ歌(資料d)を松本開明座(当時)で鑑賞。私も他のお客さんも、皆しんみりとなり、大笑いしました。そして私は「俺も学校へ通いたい、貧乏な会社員だけど…」と決意しました。かもめ歌作品中で紹介された濱口國雄詩集(資料e)作品「便所掃除」は今も私の心に深く残ります。私も埃まみれで働く食品会社の社員でしたから。
色々調べて、放送大学を知り、創立間もない「長野学習センター」(当時東京第2学習
センター諏訪分室)に入学、祖父江孝男先生(資料f)や同学派の文化人類学者さんから
講義を受け、長野県諏訪地区には、地域の祭りが今も残り、諏訪地方の人々は千数百年以
上これを受け継いでいることを知りました。放送大学入学以前の私は「日本全国、何千年
もの歴史や伝統を残している」と思っていましたが、長野県は独特でした。例えば祭りの
度毎、諏訪の若者たちは遠方から帰省し、やがては出身地に根を下ろし、地域を支えてゆきます。もちろん、過疎、限界集落といった地域の問題も同じ諏訪で同時進行しています。
こんな諏訪地方で、私は37年暮らし、奥さんと死別してから佐久に移住、2026年現在は移住して10年になります。移住してから名字は比田井に変りました。
その私がなぜ地域の共同体「ゆい」の大切さを訴えるのか、その理由は諏訪地域での公立高校勤務25年に由来します。以下はある高校生との対話です。
高校生: おい!馬鹿シンジ!俺の推薦書を書いてくれや!
私 : 君を、俺が、褒めるのか?
高校生: そうだよ、頼むぜシンジ
私 : 君はトップだったな
高校生: トップ…?何のことだ?
私 : 遅刻の回数だよ
高校生: よしてくれよ!それは内緒にしてくれよ
私 : 当該生徒は何よりも家族を大切にし、家業を手伝う為…
高校生: そんなんじゃねえよ、俺はただの寝坊だよ
私 : では、こんなんでどうだ?
高校生: 何?
私 : 当該生徒は地域の祭りを大切にし…
高校生: ああ、そうだよ、祭りが生きがいなんだ、俺は
私 : 地域の伝統文化である、諏訪太鼓を演奏する…
高校生: あたりまえだよ!諏訪人なら
私 : よその者から見れば、当たり前ではない
高校生: え~!よそのやつらは太鼓も打てねえのか?
私 : 打てないよ、受験勉強しか、してないから
高校生: へえ~!
私 : 地域の文化を継承し、当該生徒は…
高校生: 俺を褒める材料があったんけえ~!
こうして無事就職した彼は、地域の事業所でチーフを務め、もちろん地域文化を今も支
え続けています。
以下の写真はその彼ではありませんが2024年8月岡谷太鼓祭りの一場面です。(岡谷市は諏訪広域に入り、諏訪市に隣接)

資料d 男はつらいよDVDコレクション 第10号 | デアゴスティーニ公式
資料e 濱口圀雄詩集 土曜美術社 B6判、201ページ 商品コード9784812017906
(注釈)
・放送大学 1981年創立、文部科学省・総務省所管の公設民営大学。
通信制大学で、放送・面接・オンラインの3形態で授業を行っている。
全国50か所の「学習センター」で、面接授業・単位認定試験等のサポートを行ってい る。長野学習センターは、関東以外で最初に開設された学習センター。