本年1月から連載が始まった高校25期・比田井(近藤)愼爾さんの「半生記」、今回は第7回です。
今回は、信州移住後に習得された”腹話術”の実演を通じて、地域共同体「ゆい」に関わっていることの紹介です。
寄稿 大泉の学窓から信州へ その7
”腹話術習得、実践の巻”
高校25期 比田井(近藤)愼爾
私と地域との繋がりで、強い助けとなったのはキリスト教教会での腹話術活動です。信州移住から半年ほどで、私は日本キリスト教団上諏訪教会(資料N)を見つけました。教会近所の得意先旅館への出入りが縁でした。以後教会生活を通して地域共同体「ゆい」と関わって来ました。現在は日本キリスト教団岩村田教会で活動しています。(資料O)
教会ではずっとロゴス腹話術研究会(資料P)という団体に属し、人形芝居を続けています。日本の腹話術愛好家の多くはキリスト教徒でした。発端は賀川豊彦牧師(資料Q)と野田市朗氏(後に牧師)との対話だったと聞きます。野田市朗氏、芸名春風イチロー氏は元日本兵。持病の中耳炎で高熱となり、ようやく回復した時は終戦。復員後、落語家の前座となりました。生活は埼玉県大宮教会の居候だったそうです。(故野田市朗牧師ご長女・野田さん、次女 ・伊東さん談)

賀川牧師は月曜にイチロー師匠を農村伝道神学校(資料R)に案内します。師匠は2年後、東京目白の日本聖書神学校(資料S)に移ります。もちろんイチロー師匠は神学校寄宿舎前に案内され「あ!間違えた」と気づきましたが、訂正を願ったりはしませんでした。イチロー師匠はここで神からの呼びかけがあったと気づき、牧師へ転身します。わたしたちキリスト教徒は「野田市朗先生は神様に選ばれた方なのだな」と納得してしまいますが、皆さんはこんな人生をどう受け止めますか?
やがて、イチロー師匠は演芸場の腹話術から、キリスト教教会向け腹話術を立ち上げ、弟子をたくさん育てました。私比田井愼爾もその一人です。私が信州で長く腹話術活動を続けていることが助けとなり、諏訪地方や佐久地方で多くの方々が私を覚えてくださいました。その発端は上記のように「牧師」と「ボクシング」の聞き違いだった…では、まるで漫談です。しかし、私たちロゴス腹話術研究会による60年ほどの歩みも漫談のような物語だったのでしょう。賀川豊彦牧師と言えば協同組合の父(資料P)で知られますが、もう一つロゴス腹話術研究会の立ち上げに関わってくださった牧師でもあられます。
地域共同体「ゆい」に関わるとき、何か一芸を持っていると、皆さんが私を覚えてくださいます。これは三億円犯人のあいつ…として覚えられるよりは、ずっと光栄でした。
岩村田教会「教会学校」での筆者による腹話術実演