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比田井さんの「農業半世記」第2回、今回は、食品会社勤務時代のエピソード、また、農工大在学時代の学生運動として三里塚で「援農」支援をした頃のことです。


寄稿 大泉の学窓から信州へ その2

高校25期 旧姓 近藤愼爾

 

大泉高校を卒業後、東京農工農学部、八ヶ岳農業大学校を経て、長野県諏訪地方の食品会社で勤務中、お得意様との対話です

得意先:おめえ、東京農工大学出身というじゃないか

私  :はい

得意先:三億円事件のあそこいらだな

私  :はい、でも盗んだのは自分ではありません

得意先:いんね、おめえならやりそうだ

私  :自分は事件当日中学2年生ですよ

得意先:歳をさばよんでる、違うか?

私  :自分ではありません、手配写真の注意書きにあったじゃないですか

得意先:なんか、あったか?

私  :一見いい男風…って書いてありましたよ

得意先:おう、書いてあった

私  :自分は一見ぶさいくな男です

得意先:あっ!おめえじゃねえ、わかった

 

東京農工大農学部一帯は三億円事件当日の夕刻から警察官が十m毎に並び、中から出てくる人はすべて警察に連行したそうです。同時代18歳以上の男性は、不愉快な取り調べに閉口したことと思います。この捜査は通称ローラー作戦と呼ばれ、70年安保沈静に絶大な貢献があったそうです。(資料b 門田隆将「9大未解決事件の真犯人!」)

私は取り調べは受けませんでしたが、夜自宅周辺でジョギングをしていると、度々職務質問されました。たぶん大きな事件の関連だったのだろうと思います。民間勤務の頃は、三億円犯人に似ているとよく言われ苦労しました。その代わり、お得意様やメーカーさん皆さんから覚えていただけて、光栄でした。でも「三億円のあいつ」です。

では学生運動とどう向き合ったのか、私は誘われても断りました。でも、農学部学生なのに農業を全く知らないのは恥と思い、援農に参加しました。援農とは、三里塚闘争で手薄になる農家を後方支援するための、これも学生運動でした。先の大戦後、生き残り復員してきた兵士には仕事がありませんでした。兵士に仕事を与えるため、例えば「開拓」は国の重点政策でした。ようやく農家として自立でき始めた千葉県三里塚という「開拓農家」に今度は「空港建設立ち退き」という試練。これに怒った学生達が反対運動を起こし、三里塚闘争となったと、私は当時教わりました。学生運動全盛期よりは後の世代である私から見ると、「横田を帰してもらう運動の方が大事では?」事実2026年の今、多摩モノレールは箱根ヶ崎へ延伸と報道され、横田を軍事民間共用の声があがり始めています。ある意味学生運動の成果かもしれない、と私は思います。

                                   つづく

(補足)

三億円事件 - Wikipedia

三里塚闘争 - Wikipedia

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